ブラック・ヴォイス
心臓を貫くような風切り音――いつまでも鳴り止まない。
目を眩ますような突風の中、手甲(てっこう)少年は谷底を歩き続ける。
何年歩いただろうか? 一年、二年、百年、千年、一万年……?
何歩歩いただろうか? 一歩、二歩、十歩、一万歩、一億歩…………?
果てしない旅路の中で手甲少年はその心をすり減らしていた。唯一の心の寄りどころである黒い手帳は、少年の右手にしっかりと握られている。何故それが大切なのかも解らないが、少年は自分の命と等しいくらいにそれを大切に握り締めている。
――よほどこの少年が嫌いなのか。天を見下ろすほどに高い左右の赤い岩肌は、谷間の強風を弱めることが無い。吹き抜ける風は暗い谷底に意思を吹き込まれたかのように、すれ違いざま少年の耳元に言葉を置いてゆく。
「お前は邪魔だ。お前は邪魔だ」
少年に囁かれる言葉は強い憎悪の念を抱いていて、耳を塞いでも聞こえる。この声は少年の全身に響き、意識に直接語りかける。逃れる術は無い。
「お前に意味は無い。お前に意味は無い」
手甲少年にとってその言葉はあまりにも残酷だ。なぜならその言葉の示すところは、少年が探す答えの可能性の内、最も真実であってほしくはないものだから。
少年は耳を塞いで地に膝を着く。小さなその身に風は容赦なく吹き付ける。
「お前は嘘だ。お前は嘘だ」
風が勢いを増す。身を裂くような冷気を帯びて少年に襲い掛かる。
「お前は要らない。お前はいらない。お前はイラナイ。オマエはイラナイ…」
吹き荒れる谷底はそれ自体が災害と化してちっぽけな少年に狂い、襲い掛かる。
「お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は間違いだ。お前は…………………………………………………………………………」
叩くように吹く風――少年を嬲る。
掻き消えそうな意識――心の深部で渦を巻く。
誰がそう決めたのか?
何がそうさせたのか?
赤い怒りの理由――少年が存在する証。
湧き上がる闘争心――少年が、生きている証………………。
細く長い双剣が、背負う鞘から引き抜かれた。
手甲少年が青色の両眼を見開くと、周囲の空間が薄いブルーに染まる。少年は自分を守る為、襲いかかる谷底の暴風に容赦なく挑みかかった。
降り抜かれる双剣、少年の体は躍動する。心臓の鼓動は著しく高鳴り、腕の血管が浮きでる。剣の一振り一振りが谷底の風を切り裂き、赤い岩肌が削られ、巻き上がる粉塵が少年の昂りを煽る。
交差する絶対的な自尊心は悠々と横たわる敵対心を引き裂き、小豆程の存在はそれでも命の限りを燃やして己を請いた。
……全ての後。赤い砂塵をまとった少年は唯、呆然と立ち尽くす。
右手の黒い手帳からまた一つ、愚か者の名が消え失せた――――。
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