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【2018/12/16 10:52 】 |
グダ世界の予測 1 (全ストーリー共通)


世界観
 
 
1.世界そのものについて
 世界の存在とは何か、そしてその始まりとは何だったのかを考えていきたい。
 
世界の最初は高温の状態で、原子は陽子と中性子に分解されていたという(というより陽子と中性子が始まり)。何もない状態でも電子や陽電子は出現するということが証明されているので、宇宙の始めはそれらが高温の中に生まれ、やがて結合を始め、様々な原子になったと考えられる。宇宙に水素やヘリウムが多いのは軽くて簡単な結合で完成するため、確率的に沢山できたからであろう。
これにはエネルギーはゼロにならず、その付近で揺らいでいる、つまり無のギリギリと存在を繰り返しているという原理が前提になっている。まぁ、そうだというのだからそうなのだろうが、そう考えるとここで言っている無とは私達の考える本当の「無」ではないように思えてくる。完全な無であるのならば、エネルギーは嫌でも「ゼロ」のはずである。
この原理の例として「位置を知るときにはそれに必要な光が必要になり、その光は粒子に影響を与えるため運動が変化してしまう」ということが挙げられるが、それは単に人間が観測できないまたは知覚できないだけであり、人間の感覚を世界の定理の絶対条件に当てていいものではない。だから観測できる、できないは問題ではない。大事なことは無いものは無いということだ。
 しかし、無いといっても本当に完全な「無」だとなにもかも否定されてしまう。今のこの世界があることを証拠として、始めが完全な無だろうがなんだろうが今「有」だということは確かな事実だ。
よく考えてみると「無」が全ての終点だと言い切っていいものかと考え付く。確かに無いものは無い。ゼロはあるはずだ。だが、その先は?非常に単純なことを言うとゼロの先にはマイナスがある……ということだ。「無の先」なんて矛盾もほどがある!と思うが、これはイメージのせいである。xとy軸の二次元的なグラフをイメージしてほしい。原点が無だ。このグラフにさっきから言っている「無なんだからそれ以下も無なんだよ!」ということを当てはめると、y軸のマイナスの部分はありえない、存在しないものということになる。よってy軸のマイナス部分は無いものとする。するとy軸の上の部分、プラスの部分が存在するものだと言える。さて、ここでxには二種類あることが見て取れる。xにもプラスとマイナスがあるということである。私が言いたいゼロの先というのはこの、マイナス部分のことなのである。ここで突飛なのはなぜこの型のグラフに宇宙の姿を重ねるのか?ということと、xが二種類あるから何だ?ということだろう。 
y軸でいうプラス(存在がある)の世界が存在できるということを言いたいのである。つまり、私達の世界の一線の向こう側ではもう一つのまったく逆の性質を持つ世界が存在しているということだ。また、その世界があるからこそ私たちの存在は在りえるし、その逆も言える。
まず、二次元で表した理由として、議題は三次元のことだが今の論点は有る、無いという二つの事で考えているので、三つ目の軸など存在する必要が無いからである。それで、プラスとマイナスがあるから何だというと、プラスがあるからこそマイナスが有るのであり、マイナスがあるからこそプラスがある。また、プラスとマイナスが有って初めて
 
 このマイナスの世界が世界の始まりに何の意味をもたらすのか?さっきはグラフにたとえたが、あれは「存在しているんだよ!」という表現であって実際の世界がグラフ用紙と同じだと言いたいわけではない。実際の世界を形で現そうとしてもそれはおそらく何時になっても知ることはできないので、その存在を例え的に表すことしかできない。∞記号の形を思い浮かべてほしい。線の交わる場所が「無」である。そして二つある輪は同時に描かれるということを想像してほしい。片方を描けばもう片方も同じ軌道(鏡写しではあるが)で描かれる。この時線の交わりの部分が点だと仮定すると、その点は左右の輪があるからこそ成り立っている。無の部分は無なんだから何もない、などとここで考えてはいけない。これは決して物質的なことを図にしたものではないのだ。「存在する」という事実を表した図である。よって、例えそれが「無」であっても図的には存在している、つまり事実的には無は存在するということになる。
 
無が本当の無になるためには左右の輪も消えなければならない。しかし、その輪は存在する。今、こうして我々が存在していることがどうにも否定できない証拠となる。無に対抗するがごとく、この世は有るんだから有るのである。
これまでのことを踏まえてまとめると、『この世界は存在の上に存在があり存在があるからこそ本当の無というものが有りえる、またその逆も叱り』という、なんともややこしいことになる。
 では、このことから世界の始まりはどのように考えられるのか。最初に述べたエネルギーはゼロにならないという原理は一度、無いものは無いと述べて否定したがそれは本当の無があるときは有でもあるという先ほどの結論から、有り得ることなのだと私なりの証明をすることとする(さらに元から証明されている学的な証拠もある。でも、良くわかんねや)。それによってエネルギーは有るか無いかの瀬戸際で存在することができるといえる。だから世界の始めは粒子がふつふつと出現、消滅を繰り返す状態にあったと考えられる。そういった意味からでも電子や陽電子は世界の存在の最も基本的なものであると考えられる。
世界の中心は無である(無という点)。そしてまばらに生まれる電子達がしだいに反応を起こし、結合して原子となり分子となり……しだいに化学反応が起こり、反応が反応を誘発し、その間も新たな電子が発生し続けて物質が生まれ続けた。
基本は球である。爆発と消滅から様々な大きさの球ができていった。そしてあらかた世界の形が出来上がったとき、今度は消滅に向かっていく。世界の全てが一点に集中しだし、その点は無である。そして全てが無と有の狭間に集まったとき、またはある一定量以上が集まったときに存在を否定する力と肯定する力とが拮抗し、耐え切れなくなって暴発することになる。それがビッグバンである。ここから私達の知る宇宙が始まるのである。新しい宇宙は前に存在した世界と同じ経緯を辿り、また消滅と誕生を繰り返すこととなる。
以上が宇宙の始まりとその存在のある姿だと私は考える。
 
 
2.存在する世界の仕組みと互いの世界の共存関係
 一章で述べた+や-の世界のことや、0やこの世界の周りにあるものなど、さらに詳しい世界のある姿を検証していく。
 
+と-の世界を一本の直線で表したとき、+と-を分かつ無を「0」として現す。直線上にある0が壁となっているので+と-が混じることなく存在できる。混ざるとまずい理由は+と-が合わさると0になる、つまり無に取り込まれるまたは無になるからである。私たちがいるのは+の世界だが、ここから-に行くことはできない。なぜならその間に0があるからである。
重力を限界まで引き上げる(ブラックホールなどの超重力場)と0に行くことができるが、これはつまり無になるということなので消えてしまう……が、それは0を最初の位置とした場合であり、実際にはそこにたどり着くことすらできない。なぜなら無=0は全ての出発点であると同時に世界の果てでもあるからである。先に述べたとおり、世界の果てにたどり着くことはできない。世界には「時間」という概念も含まれているので、どんなに行動を起こしても無にたどり着くことはできない。なぜなら時間が無に接するということは時間が無になるということであり、それは時間が消滅するということになり、結果空間自体も消滅することになるからである。また、+と-の世界は鏡写しのような世界なので+のある存在が0に向かうとそれと対になっている-の存在も0に向かってくる。形式的には接することができても、+と-が互いに接することはない。このことが大事なのである。
 
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【2010/05/25 00:30 】 | GUDA 他世界紹介 | 有り難いご意見(0) | トラックバック(0)
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